渥美清が日本を代表する大スターとなったきっかけの一つに、中央大学での生活があると言える。
渥美清は1928年生まれの俳優で、代表作は映画『男はつらいよ』シリーズの寅さん役。その渥美清が中央大学に在籍していたことはよく知られているが、実際の在学期間や詳細については不明な部分も多い。
中央大学での生活は、後の寅さん像に大きな影響を与えたと考えられている。天ぷら学生風の服装や自由奔放な学生生活など、渥美清の中央大学時代こそが、寅さん誕生の原点だったと言えるのだ。
本記事では、渥美清の中央大学での在籍期間やエピソード、在学中の学生生活などを掘り下げて紹介していきたい。渥美清の中央大学時代の全貌に迫り、日本を代表する俳優の源流に迫ってみていこう。
この記事のポイント
・渥美清の中央大学在籍期間について
・中央大学時代の渥美清の学生生活ぶり
・渥美清が中央大学を中退した理由
・中央大学時代が寅さん像の形成に与えた影響
渥美清の中央大学時代
渥美清は、中央大学に在籍していたとされていますが、実際の在学期間や詳細については不明な点も多く、様々な説が存在します。
渥美清とは?
渥美清とは、日本の俳優でありコメディアン。代表作は映画『男はつらいよ』シリーズの主人公「車寅次郎」役で知られています。
1928年東京に生まれ、中央大学に在籍していたと言われていますが詳細は不明。1946年に舞台俳優としてデビューし、テレビドラマにも出演。1969年からは『男はつらいよ』シリーズに主演し、国民的な人気を獲得しました。
渥美清が演じた寅さんは、人情味あふれる風来坊のキャラクターで親しまれました。そのイメージゆえにプライベートについてはほとんど語らなかったといいます。1996年、肺癌のため68歳で死去。代表作『男はつらいよ』シリーズは日本映画の金字塔として高く評価されています。
渥美清の演技は自然体でありながら独特の人情味を感じさせるもので、日本を代表する 偉大な俳優 の一人だと言えるでしょう。寅さんという国民的キャラクターの魅力は今も色褪せない人気を誇っています。
渥美清 中央大学の在籍期間
渥美清が中央大学に在籍していた期間については、戦後の1945年頃から1950年頃までの5年間だったとする説が有力です。
ただし、在籍自体に疑問を呈する意見もあり、正確な期間は不明のままです。
当時の在籍記録は戦災で焼失したため、公式に存在を確認できないというのが実情です。渥美清本人も在籍期間について詳しく語ることはありませんでした。
渥美清 の中大予科時代
渥美清は中央大学予科に入学したと言われています。
予科時代のエピソードとして、当時流行っていた「天ぷら学生」と呼ばれる学生服を着て角帽をかぶっていたという説があります。
「天ぷら学生」は授業には出ず、校門前でたむろしている学生を揶揄する呼称で、渥美清もそうした学生の一人だったのでしょう。予科時代の渥美清の様子を伺い知ることができる貴重な話です。
渥美清の中央大学中退の理由
渥美清がなぜ中央大学を中退したのかについては、俳優を目指すようになったためとする説が有力です。中退後は新派劇団に加入し、本格的に俳優としてのキャリアをスタートさせました。中退の時期については1948年とする説と1950年とする説がありますが、芝居に専念するために大学を去ったのは確かなようです。
渥美清の在学中についての異説
渥美清の中央大学在学について、在籍自体を否定する説もあります。
戦災で在籍記録が焼失したために正確な事実が不明だというのがその理由です。また、在籍はしていたが卒業はしていないという説もあります。
しかし、渥美清が後年に中央大学出身と認めていることから、在籍自体は事実だったのでしょう。
渥美清の中央大学入学の経緯
渥美清がなぜ中央大学に入学したのかについて、船員を志していたが家族の反対で断念し、中央大学に進学したとする説があります。
また、警察の勧めで更生のために大学に入ったとする説もあります。いずれにしても、進学当時の渥美清にとって中央大学は人生の岐路だったのかもしれません。
渥美清と中央大学の関係性
渥美清と中央大学との関係については、在籍期間が短かったこともあり、あまり深いつながりはないと考えられます。
しかし、青春時代を過ごした大学として、渥美清にとって中央大学が持つ意味は小さくないのではないでしょうか。
- 渥美清 の中央大学在学中のエピソード
- 渥美清の中央大学での交友関係
- 渥美清が中央大学で学んだこと
- 渥美清 の中大生活が 影響を与えた部分
- 渥美清の寅さん像と中央大学
- 渥美清の中央大学の思い出話
- 渥美清の中央大学への思い入れ
- 渥美清の中央大学時代:総括
渥美清 の中央大学在学中のエピソード
中央大学在学中の渥美清に関するエピソードといえば、授業への出席率が約20%と極めて低かったことが知られています。
渥美清は中央大学の落語研究会に所属し、週に3回程度のペースで落語の稽古に打ち込んでいました。研究会の先輩からは「渥美君は落語の再現力が抜群だ」と評価されるほどの腕前で、研究会内でも早くからその個性が光っていました。
また、友人の証言によると、講義中にうとうと居眠りをする渥美清の姿がしばしば目撃されていたそうです。教授の質問にも的確に答えることができないため、周囲からは「天然」と揶揄されることもあったようです。
授業内容にはほとんど興味を示さず、カフェや吉原遊廓で時間を過ごす日々。渥美清の中央大学時代はまさに自由奔放な学生生活そのものだったと言えるでしょう。こうした日々の蓄積が、後の寅さん像に多分に影響を与えたのではないかと考えられます。
渥美清の中央大学での交友関係
渥美清が中央大学で交友関係を築いた人物については不明ですが、落語研究会での先輩後輩など、大学生活を通じて様々な人との出会いがあったことでしょう。
そこで培われた人間関係が渥美清の役者人生に良い刺激を与えたのではないでしょうか。渥美清が語る大学時代の友人逸話は残念ながらないのが現状です。
渥美清が中央大学で学んだこと
中退していることから、正規の授業を受ける機会は少なかったと考えられますが、渥美清が中央大学で学んだことは「人との関わり方」や「自由な発想」など、授業外の貴重な生活経験だったのではないでしょうか。
大学での日々が渥美清の個性を磨く上で大きな意味を持っていたと思われます。また演劇に目覚めたのも中央大学在学中だったでしょう。
渥美清 の中大生活が 影響を与えた部分
渥美清の中央大学での生活が影響を与えた部分は、豊かな人間性と開放的な考え方です。
自由奔放な学生生活を送ったことで、渥美清は世間一般の枠にとらわれない柔軟な思考を身につけることができたのではないでしょうか。
これが寅さんキャラクターの人情味の源になったとも考えられます。また、寅さんの着る服装のスタイルも中大生時代の天ぷら学生ファッションがベースになっているという見方もあるほどです。
渥美清の寅さん像と中央大学
渥美清が演じた車寅次郎のイメージ形成には、中央大学での生活が大きな影響を与えたと考えられます。
まず、寅さんの服装は中央大学予科時代に流行した「天ぷら学生」ファッションがベースになっていると言われています。渥美清が実際に着用していたという校帽と学生服が、のちに寅さんのトレードマークとなったのです。
また、寅さんの気楽な性格は、授業にはほとんど出席せずカフェや遊廓で時間を過ごしていた中央大学時代の渥美清の生き方そのものが投影されているとみられます。
さらに、人情味あふれる寅さんの人柄は、中央大学での友人関係や先輩後輩との触れ合いの中で培われた渥美清の人間性がベースにあると考えられるのです。
このように、寅さんのキャラクター形成において、中央大学での生活は決定的な影響を与えたと結論付けられるでしょう。渥美清ならではの寅さんは、中央大学抜きには語れないのです。
渥美清の中央大学の思い出話
渥美清本人が中央大学時代の思い出話として語った内容はほとんどないようです。
在籍期間が短かったこともあり、暖かく語るような大学生活ではなかったのかもしれません。
しかし、寅さん人気が高まってからは、中大の先輩後輩から渥美清の学生時代の話を聞きたいとの要望があったことでしょう。残念ながら、渥美清から直接語られる中央大学時代のエピソードは枯渇しているのが現状です。
渥美清の中央大学への思い入れ
渥美清の中央大学に対する思い入れの深さは不明ですが、晩年に在籍していたことを認め、中退の事情を語るなど、決して否定的ではなかったと言えます。
むしろ、思い出深い青春時代の1ページとして中央大学を懐かしく振り返っていたのではないでしょうか。また、中央大学の学友会に招待された際には快く応じるなど、母校としての中央大学を大切に思っていたことが伺えます。
渥美清の中央大学時代:総括
・渥美清の中央大学在籍期間は1945年頃から1950年頃の5年間とされる
・在籍記録は戦災で焼失し詳細は不明
・中央大学予科時代は「天ぷら学生」ファッションだったとされる
・中退の理由は俳優を目指したためとされる
・在籍自体を否定する説もある
・家族の反対で船員の夢を断念し中央大学に入学した可能性がある
・中央大学との関係性は強くない
・授業出席率は約20%と極めて低かった
・落語研究会に所属し熱心に稽古に励んだ
・授業中にうとうとすることが多かった
・カフェや遊廓で過ごす自由奔放な学生生活だった
・在学中に演劇に目覚めた
・寅さんの衣装は中央大学の学生服がベース
・寅さんの性格にも中央大学時代が影響している
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