『キングダム』でも人気の高い昭王(しょうおう)。
彼は秦を率いて中華統一に最も近い存在だったと言われています。
今回は、そんなキングダム昭王について、その生涯や人物像、そして彼が生きた時代背景などを詳しく解説していきます。
この記事のポイント
・秦の躍進を支えた3人の重要人物
・昭王の時代にはすでに「中華統一」の兆しが
・あまりにも強すぎた「戦神」昭王の伝説
・「キングダム」でも描かれる昭王と王騎の関係性
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キングダム 昭王の生涯と功績
非子から始まった秦の歴史~辺境の地から中華の中心へ~
周王朝の衰退と秦の台頭~「諸侯」としての承認~
秦の躍進を支えた3人の英傑~穆公、孝公、そして昭王~
孝公と商鞅による大改革~「軍功主義」による国家改造~
恵文王による「王」の称号~周への挑戦、そして独立への道~
非子から始まった秦の歴史~辺境の地から中華の中心へ~
紀元前900年頃、中国は周という王朝が支配していました。
そんな中、西方の地で多くの良馬を育て、周の王室に献上していたのが非子(ひし)という人物です。
非子の功績を認め、周の王は彼に「嬴(えい)」という姓と、秦の地を与えました。
これが秦という国の始まりであり、後の始皇帝へと繋がる嬴氏一族の祖となる人物です。
当時の秦は、中原の文化から見れば辺境の地であり、「蛮族」と蔑まれることもありました。 しかし、秦は持ち前のたくましさと、度重なる困難を乗り越えることで、徐々にその力を蓄えていきます。
周王朝の衰退と秦の台頭~「諸侯」としての承認~
時代は下り、紀元前770年、周王朝を揺るがす大事件が起きます。
西方民族・犬戎(けんじゅう)の侵入により、周王朝は滅亡の危機に瀕したのです。 この時、後の周の君主を護衛し、新たな都である洛邑(らくゆう)まで守り抜いたのが、当時の秦の君主・襄公(じょうこう)でした。
襄公の功績は大きく評価され、秦は正式に「諸侯」として認められ、領土も拡大しました。 これは、それまで辺境の地と見なされていた秦が、中華世界の中心へと歩み出す大きな転換点となりました。
秦の躍進を支えた3人の英傑~穆公、孝公、そして昭王~
その後、秦は中華統一を目指す過程で、幾人もの優れた君主が登場します。 特に、秦の飛躍に大きく貢献したのが、以下の3人の君主です。
穆公(ぼくこう): 9代目君主。西方の異民族と手を結び、その力を借りて秦の国力を拡大しました。
漫画『キングダム』でも、穆公は西方民族と同盟を結んだことが描かれています。
孝公(こうこう): 25代目君主。商鞅(しょうおう)という才能あふれる人物を抜擢し、大改革を行いました。 商鞅の改革によって秦は強大な軍事国家へと生まれ変わり、後の天下統一の礎を築きました。
昭王(しょうおう): 28代目君主。始皇帝の曽祖父にあたる人物で、今回の主役です。 昭王は、孝公の改革によって強大化した秦の軍事力を背景に、積極的に周辺諸国へと進出していきます。
孝公と商鞅による大改革~「軍功主義」による国家改造~
孝公の時代に行われた商鞅の改革は、秦を根本から変える 革命的な出来事でした。 それまでの中国では、身分が高い家柄の出身者ほど優遇されるというのが常識でした。
しかし、商鞅は「身分に関係なく、功績をあげた者を優遇する」という、当時としては斬新な制度である「軍功主義」を導入します。
この制度によって、能力さえあれば誰でも出世できるようになり、秦の人々は戦場へと駆り立てられることになります。 結果として秦の軍事力は飛躍的に向上し、周辺諸国を圧倒する存在となっていったのです。
恵文王による「王」の称号~周への挑戦、そして独立への道~
孝公の死後、その跡を継いだのは恵文王(けいぶんおう)でした。 恵文王は商鞅の改革をさらに推し進め、魏(ぎ)という強国から領土を奪うなど、秦の勢いを拡大していきます。
そして、恵文王は秦の君主として初めて「王」の称号を名乗ります。 それまで「王」と名乗ることができたのは、周の王のみでした。
つまり、恵文王が「王」を名乗ったということは、周王朝に取って代わって、自らが中華の盟主となるという野心を表明したも同然の行為でした。
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キングダム 昭王と中華統一への道
昭王の時代~中華統一へ、王騎と共に歩む~
「中華統一」の野望~「西帝」を名乗り、天下を二分?~
戦神・白起の登場~「長平の戦い」と40万の犠牲~
昭王の死と秦のその後~中華統一は目前に~
まとめ:キングダム 昭王
昭王の時代~中華統一へ、王騎と共に歩む~
恵文王の死後、その座を継いだのが昭王です。 昭王は、祖父である孝公の時代から続く改革の成果を最大限に活かし、秦を中華統一へと導くことになります。
昭王の時代、秦には王騎(おうき)や白起(はくき)といった、歴史に名を残す名将たちが数多く活躍していました。 特に、王騎は『キングダム』でも人気の高いキャラクターであり、その豪快な性格と圧倒的な武力で、多くの読者を魅了しています。
「中華統一」の野望~「西帝」を名乗り、天下を二分?~
昭王は即位後、自らを「西帝(せいてい)」と称し、東の大国である斉(せい)の王に「東帝」の号を贈りました。
これは、天下を二分しようとしたというよりも、すでに「中華統一」を頭に描き、その前段階として、東にある大国・斉と手を結ぼうとしたのかもしれません。 しかし、斉王はすぐに「東帝」の称号を廃してしまったため、昭王も「西帝」を名乗ることを取りやめました。
戦神・白起の登場~「長平の戦い」と40万の犠牲~
昭王の時代、秦は圧倒的な軍事力で周辺諸国を圧倒していきます。 特に、将軍・白起の活躍は目覚ましく、「戦神」と称されるほどの強さを見せつけました。
前260年、秦と趙(ちょう)の間で「長平の戦い」が勃発します。 これは、戦国時代最大の規模と言われた戦いでした。 秦の将軍・白起は、趙の軍勢を相手に、見事な戦略と圧倒的な兵力で勝利を収めます。
しかし、白起は捕虜とした趙の兵40万人を生き埋めにしてしまいます。 このあまりにも残虐な行為は、後に白起の名を落とすこととなり、結果的に昭王の政治生命をも縮める要因となってしまったのです。
昭王の死と秦のその後~中華統一は目前に~
昭王は、その後も中華統一を目指して戦い続けましたが、志半ばでこの世を去ります。 しかし、昭王が築き上げた強大な軍事力と、中華統一への道筋は、その後を継いだ王たちへと受け継がれていきます。
そして、ついに昭王の孫の世代、始皇帝の時代に、秦は念願の中華統一を成し遂げることになるのです。
まとめ:キングダム 昭王
・秦の王として、中華統一に最も近い存在だった
・数々の功績を残し、秦を戦国最強の国へと導いた
・白起や王騎など優秀な部下に恵まれた
・その強引な手法から、批判されることもあった
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