プロ野球界を代表する強打者、阿部慎之助。2000年のドラフト1位指名を皮切りに、捕手としてレギュラーに定着。その後は打撃面でも中軸を担い、本塁打を量産し続けた。阿部慎之助の輝かしい成績と実績を振り返っていこう。
ルーキーイヤーから正捕手の座を掴んだ阿部は、2年目には初のタイトルを獲得。2007年には初の打撃タイトルを手にするなど、個人としてもチームとしても数々のタイトルを手にした。2012年には打率と打点の二冠王に輝き、最優秀選手賞も受賞した。通算400本塁打も達成するなど、一時代を代表する強打者として君臨した。
この記事のポイント
・阿部慎之助のプロ入りとレギュラー定着の経緯
・打撃面での活躍とタイトル獲得の記録
・本塁打の数々と長打力の強さ
・守備面での評価とゴールデングラブ受賞
阿部慎之助の輝かしい成績と実績
プロ野球界を代表する強打者として知られる阿部慎之助選手。2000年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団し、新人ながら開幕スタメンに抜擢されると、1年目から主砲として活躍。その後も正捕手としてチームを牽引し、数々の輝かしい実績を残しています。本記事では阿部選手のプロ野球選手としての成績と実績について詳しくみていきましょう。
プロ野球選手としての阿部慎之助
阿部選手は2000年のドラフトで読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団。ルーキーイヤーの2001年から正捕手の座を掴み、127試合に出場。新人ながら13本塁打を記録した。
2年目の2002年には規定打席に到達。打率.298、18本塁打を記録し、初のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。2003年以降も正捕手として活躍し、打撃面でも中軸を担った。
2007年には初の打撃タイトルとなる最高出塁率(.355)を獲得。チームの主将に就任すると、打率.275、33本塁打、101打点を記録した。
2012年には打率.340、104打点で首位打者と打点王の二冠に輝いた。最優秀選手賞を受賞し、チームの日本一に貢献した。
阿部慎之助の主なタイトルと受賞歴
阿部選手の主なタイトルと受賞歴を見てみると、二冠王のほかにも輝かしい実績がある。
○首位打者1回(2012年)
○打点王1回(2012年)
○最高出塁率1回(2012年)
○最優秀選手賞1回(2012年)
○ベストナイン9回(2002年、2007年~2014年)
○ゴールデングラブ賞4回(2002年、2008年、2013年、2014年) 等
このように阿部選手はプロ野球を代表する強打者として、個人としてもチームとしても数々のタイトルを獲得している。
阿部慎之助の打撃成績のポイント
阿部選手の打撃成績を見ると、安定した長打力が特徴的だ。打率3割以上を9シーズン、20本塁打以上を9シーズン記録している。
2001年のルーキーイヤーからおよそ10年間は3割前後の打率を維持。好調時には3割5分台にも到達した。
本塁打もルーキーイヤーから毎年ソロ20本前後を放ち、チームトップの本塁打を記録することも多かった。通算本塁打数も400本を超えている。
三振が少なく選球眼が良いのも特徴で、最高出塁率を記録した2012年は三振数が規定打席到達者でリーグ最少だった。
阿部慎之助の守備成績と強肩ぶり
守備面でも正捕手として活躍した阿部選手は、強肩ぶりが持ち味だ。
ルーキーイヤーから6年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど、送球技術は高く評価された。阻止率でもリーグトップの数字を記録している。
怪我の影響で一塁や指名打者での起用が増えた晩年も、捕手としての出場を希望していたことからも、守備へのこだわりがうかがえる。
阿部慎之助の国際大会での活躍
国際大会でも活躍した阿部選手は、五輪日本代表に2度選出されている。
2000年シドニー五輪では野球競技に出場。2008年北京五輪でも日本代表に選ばれた。
2009年開催のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表の正捕手を務めている。
阿部慎之助の成績から見る野球人生
ここからは阿部選手の実績と数字を追いながら、野球選手としての軌跡を振り返っていきたい。
ルーキー時代から現役晩年まで、実力派打者として試合を支え続けた阿部選手の姿が目に浮かぶはずだ。
阿部慎
之助の登場と活躍
阿部慎之助は2000年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団した。
1年目の2001年シーズンから正捕手として開幕スタメン出場し、127試合に出場。新人ながら13本塁打、44打点を記録した。打率.225はまだ低調だったが、強肩と長打力の片鱗を見せつけた。
2年目の2002年には規定打席(471打席)に到達。打率.298、18本塁打、73打点をマーク。リーグ最多の12補殺を記録し、初のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。
3年目の2003年には94試合の出場で打率.303、7本塁打、46打点を記録。オールスターゲームにも初選出され、正捕手としての地位を確立した。
ルーキーからレギュラーに定着し、2年目に規定打席到達と初のタイトルを獲得。3年目にも打率3割を記録するなど、着実に実力を付けていった。
阿部慎之助の話題の本塁打
阿部慎之助が放った話題の本塁打をいくつか紹介しよう。
2004年4月、この月だけで16本塁打を放ち、月間本塁打の日本プロ野球新記録を樹立した。4月30日の時点で20本塁打に到達し、メジャー野球の開幕から最速20本塁打達成記録も更新した。
2012年8月26日のDeNA戦で、空中で1回弾まれる変則的な軌道のホームランを放ち話題になった。この「超常現象ホームラン」の真相はカメラワークの撮影角度が原因とする説が有力だ。
2019年6月1日の中日ドラゴンズ戦で、田島慎二から通算400号本塁打を放った。捕手としては史上3人目の快挙だった。
このように時代の注目を集める本塁打を随所に放ち、話題性の高い選手だった。
阿部慎之助の怪我と奮闘
阿部慎之助の輝かしい実績の陰には、怪我との苦しい闘いがあった。
2005年に入り、右足首や腰を痛める怪我が続発。この年は88試合の出場にとどまった。
2006年も左脇腹を痛めたりと故障が重なり、97試合の出場に終わる。2007年は復調したものの、2008年に再び腰痛で戦線離脱が相次いだ。
2009年には開幕から二軍スタートとなり、シーズンではわずか1試合の出場に終わる。腰の手術を受け、2010年には116試合に出場したが、規定打席にはわずかに届かなかった。
それでも、復帰するたびに本塁打を量産。2005年から2015年の11年間で計154本塁打を記録した。故障と闘いながら発揮した打撃の強さが印象的だった。
阿部慎之助の引退とその後
阿部慎之助は2015年シーズン限りで現役を引退した。通算成績は打率.284、本塁打406本、打点1285と輝かしい数字を残した。
2016年から母体の読売ジャイアンツで二軍監督に就任。若手育成に尽力した。
2019年限りで二軍監督を退任。2020年からは一軍のコーチを歴任し、選手として培った知見を投入した。
2024年からは読売ジャイアンツの第20代一軍監督に就任する。巨人では初の捕手出身監督となり、選手・コーチとしての経験が生きることが期待される。
引退後もコーチ、監督として後進の指導に力を注ぎ、これからも野球界で活躍が期待される。
阿部慎之助の監督就任と期待
2024年から読売ジャイアンツの第20代一軍監督に就任することが決定した阿部慎之助。
巨人の監督としては初の捕手出身者であり、選手としての経験を生かした指導が期待される。打撃、守備面ともに卓越した選手だっただけに、野球全般に対する知見が豊富だ。
若手の育成や練習メニューの作成など、実践的な指導ができると見込まれる。選手としての人望も厚く、円滑なコミュニケーションも図れるだろう。
巨人では「スターが監督」となることが多いが、阿部の監督就任は新たな試み。手腕次第で新時代の巨人を切り開く存在になりうる。
阿部慎之助の残した記録と遺産
阿部慎之助が残した輝かしい記録と遺産を確認しよう。
通算成績は打率.284、406本塁打、1285打点を記録。セ・リーグ記録の最多タイとなる交流戦通算60本塁打も達成した。
個人タイトルとしては、首位打者1回、打点王1回、最高出塁率1回、最優秀選手1回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞4回などを獲得。
18年連続二桁本塁打も記録し、一時代を代表する強打者として君臨した。捕手としてもリーグトップクラスの強肩ぶりを発揮した。
引退後はコーチ、監督として後進の指導に当たるなど、現役引退後も野球界で活躍している。
打者・捕手としての記録と実績を刻み、21世紀の野球を彩った大御所として評価される存在だ。
阿部慎之助の成績:総括
・2000年のドラフト1位で読売ジャイアンツ入団
・1年目からレギュラー捕手として活躍
・2年目に規定打席到達、初のタイトルを獲得
・打撃面でも中軸を担い、本塁打を連発
・2007年に初の打撃タイトルを獲得
・2012年には打率・打点の二冠に輝く
・通算400本塁打を達成
・守備面でもゴールデングラブ賞を複数回受賞
・五輪日本代表に2度選出
・引退後はコーチ、監督として後進の指導にあたる
・選手時代の経験を生かした指導が期待
・打者、捕手としての記録と実績を刻んだ
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